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#jポップを創ったアルバム19661995

  • #Jポップを創ったアルバム19661995 ケン・イシイ『Jelly Tones』(1995) 「東洋のテクノ・ゴッド」ことケン・イシイ。 90年代前半にベルギーのテクノレーベルから突如デビューを果たし、世界的脚光を浴びたジャパニーズテクノのレジェンドだ。 映画『AKIRA』を手掛けた森本晃司によるMVは今も尚、人気を博している。 サブスク未解禁のアルバムも多数あったがこの著書に取り上げされている名盤を辿っていった。 GS勃興〜フォーク全盛期、SSWブーム到来〜日本語ロック誕生、オルタナへの進化〜HIP-HOPとテクノの流行、とJ-POPの変遷が一通り知れた。 温故知新とはこのことだ。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 スピッツ『ハチミツ』(1995) 一家に一枚『ハチミツ』でもいいくらい絶頂期に突入したスピッツの名盤。 『ロビンソン』『涙がキラリ⭐︎』などの人気シングルや名曲『愛のことば』などが収録されており、スピッツ初心者も親しめる。 この曲の変拍子のイントロがクセになる。 #Favoriteスピッツ
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 DJ Krush『Strictly Turntablized』(1994) ※サブスク未解禁のため投稿なし 奥田民生『29』(1995) 奥田民生が29歳だったことから付けられたタイトル。 ソロ1stアルバムだが、気張りすぎない程良いスタイルが奥田民生イズムを感じさせてくれる。 ユニコーンを解散し、重荷が降りた感じだろうか。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 Mr.Children『Atomic Heart』(1994) 絞りきれないほど名曲が詰まったミスチルの名盤。 やっぱりこのナンバーは外せないが、2番のサビの出だしの歌詞にクレームが殺到したことがある。 顔のわりに小さな胸や このルッキズムな歌詞が物議を醸し、ファンもオコだった。 その後、ライブ『Mr.Children Hall Tour 2016 虹』で、この歌詞の解説がされ、苦し紛れに放った歌詞だったらしい。 この模様はサブスク未解禁だが、『ヒカリノアトリエ』のシークレットトラックで楽しめる。 #FavoriteMrChildren
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 Boredoms『ポップタタリ』(1992) ※サブスク未解禁のため投稿無し DREAMS COME TRUE『The Swinging Star』(1992) ドリカムが全盛期を迎えた名盤。 『決戦は金曜日』や『晴れたらいいね』など人気曲を収録し、370万枚以上リリースされている。 この曲は『決戦は金曜日』との両A面シングルだ。 ドリカムらしい華やかなサウンドが楽しめる。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 少年ナイフ『Let's Knife』(1992) ※サブスク未解禁のため投稿なし Chara『SOUL KISS』(1992) 1991年にデビューして徐々に頭角を表し、1992年に本作をリリースし、日本レコード大賞のアルバム・ニューアーティスト賞を受賞。 その後、映画『スワロウテイル』で主演とYEN TOWN BANDのボーカルとして主題歌を担当し、一躍人気アーティストとなった。 初期の曲そんなに聴いてなかったけど、ゴージャスな平成の音がする。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 サンディー『マーシー』(1990) ※サブスク未解禁のため投稿無し ハバナエキゾチカ『踊ってばかりの国』(1991) ※Spotify未解禁のため投稿無し THE BOOM『思春期』(1992) 山梨県出身のロックバンドTHE BOOM。 原宿のホコ天発のバンドとして知名度を上げ、本作をリリース。 この曲はリリース当時、そこまで人気とはならなかったが、ドラマやCMのタイアップを受け、火が付くまで1年ほど掛かった。 このバンドも沖縄出身と勘違いされがち。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 たま『さんだる』(1990) ※サブスク未解禁のため投稿無し 上々颱風『上々颱風』(1990) 三線やバンジョーなどを奏で、琉球音楽チックなメロディーで異国情緒が味わえる男女混合バンドの上々颱風。 沖縄出身かと思いきや、横須賀出身。 これカップラーメンのCMソングやったらしい。 覚えてないな。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 ピチカート・ファイヴ『月面軟着陸』(1990) ※サブスク未解禁のため投稿なし FLIPPER'S GUITAR『CAMERA TALK』(1990) 小沢健二と小山田圭吾を中心に結成された5人組ギターポップバンドFLIPPER'S GUITARは1989年にデビューした。 小山田の交通事故を経て、メンバー3人が脱退し、デュオ体制となった。 しかし、この両者だからこそ生み出せた作品がネオアコの源流となり、今のJ-POPに大きな影響を与えていく。 本作は2名体制となって初のアルバムであり、名盤として受け継がれていく作品となった。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 スチャダラパー『スチャダラ大作戦』(1991) #FM802ヘビーローテーション 1990年6月DOMESTIC『スチャダラパーのテーマ PT.2』 De La Soulに影響を受け、91年リリースの本作でメジャーデビューしたスチャダラパー。 ジャパニーズHIP-HOP黎明期にマスで成功を収めたグループの一つだ。 イントロからクレイジー・キャッツの『無責任一代男』やゴダイゴの『Monkey Magic』をサンプリングしてくるところが印象的だ。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 #90年代JPOPの基本がこの100枚でわかる! 東京スカパラダイスオーケストラ『スカパラ登場』(1990) 以前、選曲家の栗原斉がシティポップ100枚を選出したディスクガイドを紹介したが、第2弾として90年代のJ-POPを取り上げたディスクガイドがリリースされているのでチェックしていく。 東京スカパラダイスオーケストラのメジャーデビュー作品。 日本のスカバンドの代名詞となり、第一線で活躍し続けるベテランバンドだ。 デビュー作から堂々とした曲作りとカバー。 この曲とかも何度聴いたことか。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 高野寛『Cue』(1990) 音楽オーディションから見出された才能は数多くの一流アーティストによってプロデュースされた。 特に彼が学生時代に影響を受けていたトッド・ラングレンがプロデューサーを務めるとは思ってもみなかっただろう。 彼を知るには必聴なアルバム。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 THE BLUE HEARTS『THE BLUE HEARTS』(1987) ※サブスク未解禁のため投稿なし りんけんバンド『ありがとう』(1987) ※Spotify未解禁のため投稿なし MUTE BEAT『FLOWER』(1987) 日本初のダブバンドとして知られているMUTE BLUE。 Tp.こだま和文を中心に、元組んでいたいくつかのバンドからメンバーを選抜してMUTE BLUEが結成された。 ジャマイカで生まれたダブを活かし、グルーヴが生み出した日本では革新的なバンドだ。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 BOØWY『BOØWY』(1985) ベルリンでレコーディングされたBOØWYの3rdアルバム。 半ば断られるの前提に「ベルリンで録りたい」と口にしたらあっさり決定したらしい。 プロデューサーに佐久間正英を迎え、本格的に売り出していこうというレコード会社の姿勢もあったのだろう。 BOØWYの名曲がズラリと並んだ入門編のような一枚。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 佐野元春『VISITORS』(1984) 3rdアルバム『SOMEDAY』が売れなければ歌手を辞めようと決意していた佐野元春だが、『SOMEDAY』は起死回生のヒット作となった。 そのヒットもあってか、更なる進化を遂げるべく1年間N.Y.での滞在を行う。 そこで得られたブラックミュージックやHIP-HOPの影響が色濃く反映されたのがこの『VISITORS』だ。 キレキレなビートにラップをダイレクトに入れるのは、日本では斬新だった。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 竹内まりや『VARIETY』(1984) 1982年にプロデューサーだった山下達郎と結婚し、本作で復帰した6thアルバム。 『プラスティック・ラヴ』が世界的に流行し、ジャパニーズシティポップブームの火付け役となったのが記憶に新しい。 しかし、1曲目の『もう一度』も清涼感満載の名曲ということは忘れてはいけない。 夫、山下達郎のコーラスに力が入っている。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 尾崎豊『十七歳の地図』(1983) この歌声、高3じゃない。 色気のある大人の声だ。 人生を一通り経験したかのような歌詞の世界観で、日本の音楽業界に激震が走った。 このデビュー作はいつの時代でも衝撃を与えてくれる。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 浜田省吾『Home Bound』(1980) 広島出身の浜田省吾は大学を辞め、フォークグループ広島フォーク村に属し、ロックバンドのグルックスに参加して愛奴として活動した。 その後、ソロに転身し、1980年に6thアルバム『Home Bound』をリリース。 この曲を中心に人気を広げ、ライブも商業的成功を収めていった。 彼の声は何歌っても自分のモノにする。 それほど、ボーカリスト向きな存在感の強い歌声だ。
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  • #TSUTAYAこれは聴いておきたい不滅の名盤 #Jポップを創ったアルバム19661995 RCサクセション『RHAPSODY』(1980) 1970年からRCサクセションは精力的に活動していたが、事務所移動やメンバー脱退などがあり、思うように活動ができなくなった。 78年から活動を再開し、立て続けにヒットを飛ばして、1980年4月に千代田区の久保講堂で行ったライブを収録した本作をリリースした。 半年を超えるロングヒットを記録し、RCサクセションの復活を示した名盤だ。 忌野清志郎のMCが最高で、全てがロックンロールに包まれている。 この曲がラストナンバーだが、こりゃアンコールするやろ。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 PLASTICS『WELCOME PLASTICS』(1980) 1970年代末からテクノポップの夜が明ける。 このPLASTICS、P-MODEL、ヒカシューが「テクノ御三家」と呼ばれ.テクノポップが巷で流れるようになった。 驚くべきことはPLASTICS自体、ミュージシャンで結成しておらず、イラストレーターの中西俊夫、グラフィックデザイナーの立花ハジメ、スタイリストの佐藤チカの3名がメインでお遊び半分で活動していたことだ。 四人囃子のベーシストだった佐久間が加入してから、アーティストらしい方向へ進んでいったという。 とても不思議なバンドだ。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 PANTA & HAL『マラッカ』(1979) PANTAこと中村治雄はロックバンド頭脳警察を解散し、1977年に新しいロックバンドPANTA & HALを結成した。 そしてプロデューサーとして鈴木慶一を迎え、ロックの枠にとらわれないジャンルを横断する熱烈な作品が誕生した。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 イエロー・マジック・オーケストラ『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978) 坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣の3名で結成された世界的テクノユニットのイエロー・マジック・オーケストラ。 デビュー時、すでにみんな実力や名声を得ており、実はマーティン・デニーの本作をカバーを皮切りに、世界進出を図った戦略的一枚だった。 その目論見は当たり、翌年、US盤がリリースこととなる。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 知名定男『赤花』(1978) ※サブスク未解禁のため投稿なし サザンオールスターズ『熱い胸さわぎ』(1978) このアルバムを聴くと、一気に現代に引き戻される感覚になる。 それは、令和になってもサザンオールスターズがJ-POPの最前線で走り続けているからだ。 桑田佳祐がデビューから突き通してきている、洋楽サウンドを歌謡曲や日本人が好む曲調へ翻訳し、変換するスタイルが今のJ-POPの基礎になっている。 これなんか、もろLittle Feat。 これは、はっぴいえんどが撒いたいくつもの日本語ロックの芽からJ-POPという花が咲いた瞬間だろう。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 山下達郎『サーカス・タウン』(1976) ※サブスク未解禁のため投稿なし 喜納昌吉&チャンプルーズ『喜納昌吉&チャンプルーズ』(1977) 沖縄でも島唄を歌うSSW喜納昌吉が人気を博していた。 米軍からのアメリカンミュージックの要素が加わり、日本でも親しみ易いかたちで流行する。 それは、このデビューアルバムのリリースだ。 三線がブルースの如く奏でられ、国境などないように思えた。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 大貫妙子『Grey Skies』(1976) 1973年に山下達郎らとシュガー・ベイブを結成し、3年弱で活動が終了。 その後、本作でソロデビューを果たす。 最初はソロに自信がなかった彼女だが、腕試しをした本作を経て、名盤『SUNSHOWER』をリリースする。 この曲はシュガー・ベイブ出来なかったジャジーテイストに仕上げたという。 アレンジは坂本龍一。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 矢野顕子『JAPANESE GIRL』(1976) 女性SSWの中でも特出した表現力で存在感を示した矢野顕子。 モノマネ芸人も現れるほど、人気で個性的なアーティストだ。 デビュー作もまさにオリジナリティが溢れていて、注目されるべく注目された逸材だろう。
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  • #Jポップを創ったアルバム19661995 鈴木慶一とムーンライダース『火の玉ボーイ』(1976) ※Spotify未解禁のため投稿なし 中島みゆき『私の声は聞こえますか』(1976) ※サブスク未解禁のため投稿なし 細野晴臣『泰安洋行』(1976) 絵で例えると極彩色で、みそ汁に例えると具沢山なアルバムとなっている。 しかし、そのすべての要素がそれぞれの役割を果たしてマッチしている、まさに細野マジック。 この曲はアルバムのスターターソングで、コーラスに大瀧詠一と山下達郎が参加している。
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