アイヌのムックリを聴いたとき、ホールで繰り返し反響されるその音に引き込まれた。この「do bacteria sleep?」では、モンゴルの口琴のその反響の奥深さを再現しようと試みているように感じた。
落ち葉からコンクリートへ、情景が目に浮かぶ
非同期の中の同期性、同期の中の非同期性
not the 6 oclock news/坂本龍一
昨日は坂本龍一さんの三回忌
東京都現代美術館の
「坂本龍一|音を視る時を聴く」に
やっと来れました
展示はすべてが静謐で素晴らしかった✨
喪失感は今も変わらないけれど
こんな形で再会できて嬉しかったです
教授の活動はあまりに広大で…
いつか過激でポップなサイドの展覧会も
観てみたいなと思いました
テレビは大勢に向けて作られている感じがするのだが、ラジオはなぜか、ひとりひとりに語りかけてくれているような気がした。とくに深夜に聞いていると、孤独が少し癒される気がした。
エッセイにもそういうところがあった。
読書というのはひとりでするものだが、エッセイにはどこか、書き手が生の声で語りかけてくれるようなところがある。闘病中の孤独な身には、それがうれしかった。P267
『頭木 弘樹 - 口の立つやつが勝つってことでいいのか』。
自分も罹患したときに、部屋にあった買った覚えがない遠藤周作のエッセイを読んで心の滋養を与えてもらった。この感覚わかるなぁ...。
坂本龍一×デヴィッド・シルヴィアン。中盤でやっと歌詞(とはいっても坂本龍一のつぶやきだが)が始まり、3分の2くらいのところで一瞬、シルヴィアンの歌が入る。かつて愛した竹の家々は壊れてしまったが、人びとの生活は続いているようで、痩せこけた子供たちが歌っている、という内容。
懐かしいCM
YMOをよく聴いていたのだが、そこからの派生でひと月ほど前から坂本龍一の個人楽曲に手を出している。ローファイっぽいチリチリした電子音に、デヴィッド・シルヴィアンの落ち着いた声がのる。シルヴィアンはニュー・ウェイヴのバンド、Japanのヴォーカル。曲名の「世界市民」もさることながら、歌詞も坂本龍一らしい政治意識に彩られている。消費の世界へと足を踏み入れた結果、蝶は羽を失い、大気は息ができないくらい薄くなり、飲み水に異変が起こっている――けれども私は決して失望するまい、という内容。
#817 今日は坂本さんのお誕生日ということで。いろんな感情を掻き立てる曲。
🎧今日の1曲🎧
小さい頃にやってたゲームのBGMに酷似しててなんかエモくなりました
確かNintendo64のゲームやったと思うけど思い出せん
それはそうと坂本教授の音楽はやはり最高
「音を視る 時を聴く」展行きました
𓃠
亡くなって1年半以上経って急にロスになってきました
教授の曲は霊的な力があるように感じる
22/12/24
何か嫌なことがあったり、自分の中が空っぽになって、もう何もでてこないなって時、静かな深夜にこの曲を流す。この曲は僕にとってチューニングをしてくれる存在で、マイナスに傾いていたものが、元の音へと戻って、そこからふつふつとプラスに傾いたり、なんだ、それでいいのかぁ、と吹っ切れたりする。ある意味で常備薬というか、いつでも側に置いておきたい音楽で、ああ、出会えて良かったなぁとしみじみと思ったりする。たまたまタイトルが「SELF PORTRAIT」だけれど、本当にそのとおりで、これを聴いているときは僕は僕を見ているのかもしれない。外側に向きすぎていた視点をいったん内に戻すというかね。自分を見てあげる曲。
鬱々とした週末だったけど
お風呂入った少し回復
エナジー風呂
こんな感じの天気
🎶❤
"By This River"祭りは、泣く子も黙る坂本龍一ver.で締めておきます。
坂本龍一の演奏だと、聴き慣れた安らぎのフレーズも少し張り詰めた感じがあり、なおかつ思索に沈んでいくような重さがあります。そこに加わるalva notoの電子音が微細なリズムや軽さを生んでいるのが不思議なバランスです。
これを聴きながら街を歩いていると、不思議と、すれ違う人間の観察をしている自分がいた。
時は止まっているようで行き交う人が変わっていく情景。わかる人はいるだろうか。
思春期に聴きたかった
沁みすぎるくらい沁みる。。
シンプルイズベストとはこのことをいうんだな