二〇二四年に公刊されたサイラーらの論考によると、退屈は情報の少なさを忌避する感情であり、どこでもよいからなんでもよいから情報のありそうなところを探す行動につながる。
一方、好奇心は自分の知識の空隙に対する反応であり、その欠けた情報を探そうとする行動につながる。
つまり、どこでもなんでもよいのではなく、自分の知識の中で欠けている部分を埋めようとするのが好奇心である。
つまり、退屈の方が、環境の影響を受けやすく、求める刺激は何でもよい。
実際に、人は退屈しているときには苦痛な刺激すら求めることもわかっている。
河島茂生『ソーシャルメディアの倫理的デザイン 未来のための再構築』