様々な気持ちが自分自身の中で渦巻いているけど...
でも、私は貴方の音楽を聴いて衝撃を受けて、感動して、憧れて、自分自身を助けることができました。
この気持ちに嘘はないです。本当に。
酩酊状態で聴くとよりカッコよさがわかる気がしたりしなかったり
最近一世代前の邦楽バンド聴くのハマってる。
ハヌマーンさんは歌詞が大好きで、曲を聴いてるんじゃなくて文学作品を耳で聴いている気分になってくる
どうやったらこの表現力を手に入れられるのか。
やっぱり芸術に触れるしかないのかもしれない。
俺の音楽じゃんってなるよね。
世の中には同じような気持ちの人もいっぱいいるのかな
おしごと関係で、人が音楽の世界に踏み込んでしまうきっかけってなんだ?なんて議論を一生している、
人生で好きなアーティスト3選、人生で好きな曲3選、みたいなことをすると、私は決まって学生時代の音楽ばかりをあげてしまうのですが。
サブスクでたくさん聞けるようになっちゃったから?生活が忙しくなってBGM化しちゃったから?刺激に溢れ多感な心な学生時代を過ぎちゃうとだめなのかしら?
音楽史によると、いつだって若者と若者に愛された音楽が市場を一変させてしまうらしい。
それはそうと、ハヌマーンは最高で、ハヌマーンにはまるきっかけをくれた17歳は最高、
山田亮一が帰ってくる日が楽しみで今日も生きる〜〜〜
ハヌマーン は目が覚める
忘年会の帰りに流れてきて死にそうになる…若いということの大げさで、確かな生命力
最近初めて聴いたけどいいね〜もっといろんな音楽聴きたいな〜どうしても狭く深く聴きたくなる
メロディーが頭から離れなくて、決して短い曲ではないのに一度聴くと暫くは繰り返し聴き続けてしまう。
"時間は過ぎてく その現実に 眼球をいつまでそらすつもりか"
忙しない日々のなかで、「若者」という地位に甘んじてられる時間がどんどんと過ぎ去っていく。
だからこそ、今この一瞬を貪るように生きていけたらと思う。心が、身体が、まだ自分の思い通りになるうちに。
バカッターするような若者を嫌悪感を抱きつつも"若さ"に少し憧れる。今だからこそ響く人も多そうな、そんな感じのロックナンバー。
ドラム初心者時代にこの曲をコピーする機会があり、初めて自分のスキルの壁を感じて、この曲一曲のために手の指全部がマメだらけになるほど練習した思い出の曲。
どう考えても当時の自分には難しい曲だったけど、どうしても叩きたかった、だってかっこいいんだもの。
どんだけ手が痛くなっても汗でスタジオの床がビシャビシャになろうとも、時間の許す限りこの曲をそれこそ猿のように叩き続けた。
その結果、ドラム、音楽がもっと好きになって今がある。
ありがとうハヌマーン、ありがとう猿の学生さん。
久しぶりに会った友達との会話は続かず、互いの変化を心中で問う。いじめとしょうもない話題が蔓延るバイト先では心中で呪詛を吐きながら上っ面で笑う。外界で他人と当たり障りなく上手くやる秩序の精神と葛藤は1Kの一室で無秩序な混乱となり爆発する。大切な記憶までも振り切って、秩序という内面化された支配から抜け出して夜を疾走する。
アナーキーって無秩序・無政府という意味の他に、無支配という意味もあったんですね。葛藤故の心の無秩序と、そこから自分を解放する無支配というダブルミーニングだったりするのかな。
人の寝静まった夜、お酒飲みながらこれ聴いて歩くとまさに夜を所有したような気になります。一生好きです。
「アーティストのうち上位で人気なやつをいちばんすきですって言いたくない謎かついらないプライドあるけどそういう理屈をこえてきてしまう神曲」シリーズ
ハヌマーンは17才の僕の青春。好きな曲しかないからアルバムを最初から最後まで通して聴くということをした思い出がない。だから意識的に初めてちゃんとアルバムを通して聴いたのだけど「アナーキー・イン・ザ・1K」で迎えたエンディングに突然始まる「Don't Summer」に何度聴いても圧倒されてしまう。でもアナーキーで終わっても名盤だったとは思う。
「ラストナンバーはこの曲でよかったのに」みたいな蛇足がついてる感覚のアルバムは多いけどこれは蛇足がアルバムに食いかかっているイメージ。無いと無いで寂しく感じてしまう不思議な魅力がある。どんよりとした曇り空のようなアルバムが最後の最後で茹だる夏に変わる。
たまに過去の投稿にいいねがついてこのアプリのことを思い出してる。
日暮れ路面電車に飛び乗りたいと思って早3年経つ
願望だけが先を走っている
あの娘がすむ町を越えられる気が全然しない