aug
august
歌日記的な奴っす。
音楽ってその時の記憶蘇るよねの奴。
根っからの九州育ちの私が、一年弱京都で生活をした。
一度九州を出て、もっと広い世界が見てみたいという好奇心から、少ない貯金で移り渡った。
結果、分かったことは寂しくて九州がより好きになってしまった。
仕事で色々あり、その経験からようやく自分の生きる道を見つけた。
京都で出会った友人と恋人。
1年でなんだかんだやる事やったじゃん。自分。
今日、恋人に見送られて関西を離れた。
向こうは泣いてくれた。
ごめんね。目を見てさよなら言えなくて。
咄嗟にこの曲が頭の中で流れた。
私、頑張るから。
映画「PERFECT DAYS」の挿入歌。
実家の猫が2匹旅立った。
飼い始めて2年だった。
安楽死を選び、2匹でお空へ行ってしまったので。きっと2匹で仲間でもできてゴロゴロしてるんだろうな。
言う事ないくらいいい子だった。
そんな時に、この映画をみた。
劇場で流れるシンプルな生活は決して簡単ではない。
堕落した私の心を雨のように洗い流してくれるようだった。
そして、perfect daysになった。
自分の機嫌は自分で取る、そして上を向いて生きる。
雨の日にとてもよく合う。
透き通る声、帰り道に聴きました。
ユーミンも好きだけどハイファイも捨てがたいなぁ。
今日は山本さんの声で3cm身体が浮いてました。
おもひでぽろぽろのタエ子ちゃんみたいに。
晴れの日と雨の日と曇りの日、どれが1番すきか。
今日は雨で。
きーえーなーいこーこーろーの"古キズに"の古キズにの歌い方が心抉られる。
この声の出し方はタバコを吸い続けないと出せないのでしょうか。
女ですが、この声質憧れます。えぇ
エレカシトリビュート‼︎‼︎
こんなアルバムがあるとは…
オリジナルは一匹狼の漢、だけど不器用で腹の中を明かさない。根は優しい奴。のイメージだが。
志摩さんは完全に女々しい女の歌に聴こえてしまう。
志摩ワールド、完全に自身のモノにしているように個人的に感じた
高田渡の事を軽く触れた歌だと、加川さんが動画で言っていた。
とても優しいくて、ほくほくしてて眩しいそんなイメージの加川さん。
始めの一節に"京都の秋の夕暮れはコートなしでは寒いくらいで"そろそろそんな季節になりつつある。
そこの角砂糖でもかじったら?なんて聞いてくれる親しい友人も遠くになってしまって。
寒さが身に沁みる今日この頃です。
野狐禅のこのアルバムが聴こえてくると、佐賀県の唐津の静かな海が頭に浮かびます。
夕方に見る静かな唐津の海は色々な思い出が蘇るそんな場所です。
砂浜にはゴールデンレトリバーを散歩しているおじさんや、民宿の観光客の方、学生の恋人たち。野良猫もいた。
なぜか、野狐禅の暑苦しすぎるくらいの熱量と静まった海が対極すぎるがヘッドフォンで聴くと不思議と心が鎮まる。脳汁がドボンと流れ落ちるように。
天才なんだよな…この方々は。ライブいきてぇなぁ。
映画 パッチギ の挿入歌、
小学生の頃から私の家庭は週末になると家族で近くのレンタルビデオ屋に旧作10本1000円を借りて1週間で10本見まくるとう儀式的なブームがあった。
父親はアクション、母はフランス映画、兄はB級映画、私は子供向けアニメという具合で各々好きな物を見漁った。
その頃に出会った映画がパッチギだった。
当時、学生運動やら在日やらそんな情報は全く理解出来ていなかった私だったが。
ジャンルでいう青春痛快ストーリーというのかわからないがそのジャンルに一歩踏み出してしまった。
そこから私のパッチギ愛が炸裂するのであった。
そこからというもの50回は繰り返し見返した。
今は解散してしまった。
ボーカルの子が色々あって、抜けてメンバーが彼に宛てた歌。
この曲聴くととても寂しいけどじんわりと温かい。サイドボーカルがバンドの継続というより彼を労る気持ちがとても伝わる。女性ってとても強くて逞しいと感じた。
この曲が出始めた頃に私は新卒から勤めていた会社を辞めた。
この頃に聴く音楽は安らぎと現実を忘れるためのツールでしかなく、仕事をやめた後はしばらく音楽を聴くことができなかった。
最近、この曲を聴くと思い出す。
いい思い出も悪い出来事も。
生活とはこう言う事の繰り返しなのか。
くるりはいつも水のようだ。
どこかの街の地下鉄をでて5階建の古いアパートの1階にコンビニがあるその1番上の部屋がミヤジの部屋なんだ。
そしてミヤジが当時付き合っていた彼女に歌詞のように家までの道順を教えてたんだ〜とか妄想する。
小さな部屋で歌詞を考えたり、彼女の悩み事を聞いたり、生活してる様子が想像出来る。
"たしかに僕は生きてる"
なんにも起こらない平凡な日常の歌詞だけど、そんな平凡な中で一生懸命に生きる歌はいつも私を励ましてくれる。
そして、今日も小さな部屋でこの曲を聴き馳せる。
前の職場の同僚と夜遅くまで長崎市内で遊んでた時、車でサニーデイをシャッフルで流していた。
たまたまこの曲が流れたら、なぜか街がスローモーションに見えて海も近い事もあってぬるい風と共に街が輝いてみえた。
同僚も同じ感情だった。
ボリュームをMAXにして窓全開にして風を感じた。
この曲を聴くと長崎の夜を思い出す。
インスタライブの弾き語りでIwasdeadを歌ってて、音源と違ってとても素敵だった。
深夜とかすれた声が相まって、何とも言えない良い色だった。
私にとって夜はいつも特別だ。
非日常を味わえる開放された時間。
佐賀県の江北町生誕70年を記念した江北駅のホームメロディ。
記念ライブとして岸田さんが佐賀にやって来た。
岸田さんは目尻の下がりまくったおじさんになっていた。
髪もボサボサでTシャツ1枚。
なぜかとてもキラキラしてた。ずっと笑ってた。
田舎で何もない場所が一瞬で輝いた。
宝探しの宝は笑顔なのかな。きらきら
当時、これまで片想いした事があるのだろうか。
馬鹿みたくリピートして彼を想い続けた。
そんな彼が当時追いかけまくってたバンド。
結局気持ちは伝えないまま彼は結婚してしまったが、今だに友達なのが恐ろしい。
シャバが恋しいぜ、全くヨォ。
初めてライブに行ったのが星野源。
当時高校生だった私は、ライブというものがどんなシステムなのかさっぱり分からなくて1人でぶるぶる震えていた。
画面越しに何度も何度も観まくってた星野源が目の前に現れたときこんなあっさり会えちゃった…となぜか感動がそこまでなかったのは面白かった。
静かな夏を教えてもらったのはくるりと星野源なのかもしれない。
今年も来年の夏もずっと聴くよ。
大好きな友人が先月夜行バスに揺られて上京した。
苦労している姿を長年見ていたので、心の底からお前は幸せになるべき人間なのだと一緒にこの曲を聴いた。辛い思いなんかは少しでいい。
最近いろいろと疲れる事があったのだが、たまたまストーリーで流れてきた汗びしょのミヤジが人差し指をたて片方の手を腰に回し。今の自分を信じてみなよ!と何度も何度も観客に語りかけていた。
私はその場所に居ないのに、確かにそこに居た。
前奏からとてつもなく悲しきもちを連想させるのだけど、拓郎はいつでもあたたかい。
一節目に"悲しいだろ みんなおなじさ"
悲しくてちいさくちいさくなって、何で自分ばかりこんなに辛いんだ!!バカ!!!と感じても、拓郎おじさんはいつでも語りかける。だれだって悲しみを抱えている。と
一人ごとです気にとめないで。なのです。
テンション上がったり、落ち込んでだり、失敗したり、明日に希望もつ。
その時の気分によって聴く音楽は変わるけど、結局この歌に戻ってきてしまう。
釣りで言う、フナではじまりフナで終わるように。
岡林ではじまり岡林で終わる気がします。