#Jポップを創ったアルバム19661995
吉田拓郎『元気です。』(1972)
フォーク界のアイドル的存在だった鹿児島生まれ広島育ちのSSW吉田拓郎。
人気絶頂の頃、深夜ラジオには出て、テレビの音楽番組には出ないという彼なりのスタンスがカリスマ性をかき立たされた。
大ヒット曲『結婚しようよ』を皮切りに数々の名曲を歌ってきたが、73年には森進一に提供した『襟裳岬』がレコード大賞を獲得。
プロデュースもカリスマできるだった彼の武勇伝は語り尽くせない。
少し早いけど外はそれぐらい寒い。
吉田拓郎「ペニーレインでバーボン」
歌詞に差別用語があってずっと発禁状態だったのに、どういうわけでまた収録されるようになったのかしら??
歌詞も何の処理もされてないけど。
吉田拓郎で一番好きな曲
どうせ力などないのなら
酒の力を借りてみるのもいいさ〜
たまらん!!!!!!!
全身全霊ですき。
ヒトカラ限定でたまに歌ったりもする。
あとねすごくドキドキしてくる、
‘73の春だったねを聴いていると。
この拓郎さんの声に恋してるんだと思う。
この色気に最前で倒れたかった。
今、そらで全コーラス歌える歌、というとこれしかないかも。
家族愛というドグマある限り、そのアンチテーゼとして生き続ける歌だと思う(酔ってます)。
前奏からとてつもなく悲しきもちを連想させるのだけど、拓郎はいつでもあたたかい。
一節目に"悲しいだろ みんなおなじさ"
悲しくてちいさくちいさくなって、何で自分ばかりこんなに辛いんだ!!バカ!!!と感じても、拓郎おじさんはいつでも語りかける。だれだって悲しみを抱えている。と
一人ごとです気にとめないで。なのです。
あなたのような生き方も
私のような毎日も
人生なんだと言えるでしょうか
随分歩いてきたようで
夢につまづいた日々に追われる...
フォーエバーヤング
結構昔、爆笑問題の田中がラジオでこの歌詞の良さを力説しててとても納得したし、本当に素晴らしい解釈だと思った。
その解釈を頭に入れて聞くともう悲しくて悲しくてわんわん声上げて泣いてしまったんだけど、あの頃は仕事が辛くてだいぶ参ってた時期だったので・・・なんの言い訳。
とにかく名曲。
父が吉田拓郎を好きでよく車で聞いてた。
大人になってしっかり聞くと確かにすごい歌手だなって思う。
いよいよ引退かー感慨深い。
なんとなく素通りしてたけど、あいみょんとかちゃんと聞いてみよ。
この前のLOVELOVEあいしてるの落陽とてもグッときた
吉田拓郎のラストアルバム??
と思いながら聴くとこの曲、素晴らしい。
そして寂しい...
私のアイドル達が老いていくのはつらいよ。
まだまだロックしたい。
おまえがいなくなってからも
春になれば
知らない街で酔っちまう♪
人の心は暖かいのさ 明日はもう一度ふれたいな ひとりごとです気にとめないで
かっこ悪く見られるぐらいなら嘘をついてかっこ良く見られたい。
会社ではそんな雰囲気を醸し出してます。
割れものは手に持って運べばいいでしょう、ということでもあるかもしれない
中1とか中2だったと思うのだけれど、この歌に心がざわざわしたなぁ。このアルバムをドキドキしながら聴いてたっけ。
まじで拓郎かっこいいよ。こんな描写もうできないよ。この曲聴くと懐かしくってやけにタバコ吸いたくなるんだよ。生まれる前の曲なのに。
GOAT
おもわず口ずさんでしまう曲
帰り道に階段を降りながら聴いてる
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
そしていま私は思っています
明日からもこうして生きていくだろうと
襟裳岬といえば森進一のイメージかもしれないが、
僕は吉田拓郎のセルフカバーが好きだ。
「襟裳の春は何にもない春です」
この歌詞でえりもの人々は怒ってしまったらしいが、結果襟裳岬がメジャーな街になったのは皮肉である。
えりもの町には一度行ってみたい。
父は吉田拓郎が嫌いだ。
母はフォークソング全盛期に生きてきたので吉田拓郎はもちろん聴く。
若かりし頃の父と母が地元で吉田拓郎のコンサートに行ったことがある。
前の方の席だったが、父は耐えられなくなり、最初の3、4曲ぐらいで限度が来て、父と母はコンサートホールを後にした。
それ以来吉田拓郎はその地元でコンサートを開いていない。
この影響のせいかは僕にはわからない。
#家族と音楽
子どもの頃、この曲を聴いて「ふーん、Beatlesってそういうことを歌っているのかあ」と思った。
「それも自由だとビートルズは教えてくれた」
「人が幸せになるのを批判する権利は誰にもない
みんな幸せになっていいんだ」
というフレーズが印象に残っている。
Beatles世代の誰だったかが「この曲の『もっと陽気であっていいんじゃないか』という詞が、当時の自分たちが受けた啓示をよく表している」と語っていた。「あの頃、日本の大人たちは暗かった。そんな暗い国の若者であるぼくたちの前にBeatlesがやってきて『もっと陽気でもいいんじゃないか』と教えてくれたんだ」と。
次回収録のPodcastに「あれ?おれのこと歌ってる?」という企画があり、構成作家から「事前に候補曲を用意してくること!」とお達しが布された。そこで深夜の風呂でSpotifyを回しつつ記憶を掘り起こしている。この曲はリスナーからの知名度が低いためボツと判断し、こちらに投稿。
小中高大と過ごす街が変わり、共に過ごす面々も変わってきた。就職してからも、渋谷、新宿、秋葉原、六本木、原宿、恵比寿と一年程度で拠点が変わってきた。ふらっとそれらの街を訪れると、街の匂いと併せて当時を過ごした人たちの顔がよぎる。何となく俯いてしまいそうになるけれど、この曲を思い出しながら顔を上げ、えいと雑踏に飛び込む。