masa98
サトウ
好きな曲と、好きになった曲と、その周り。
カウリスマキ監督の映画『真夜中の虹』で、刑務所から逃げ出した主人公が、町中で出会った女性と一緒になって、木のボートで船に乗りこむエンディングがある。主人公と女性、それから波と、遠くに見える船が画面に現れ、水平線に夕日が落ちていくなか、この『虹の彼方に』がバックに流れ出す。それがめちゃくちゃいい。もちろんこの曲は楽しいミュージカル映画の歌なんだけれど、社会的な映画でこの曲が流れると、虹というものが、市民が思い描く夢とか、力強さとか、そういうものとしても捉えられる。『Somewhere over the rainbow』。そうか。書いていて思ったけれど、虹の彼方、overなんだね。夢なんだよ。
日本橋のジャズ・フェスティバルで、黒田卓也の生演奏を聴いた。僕から見て真ん中に黒田、右にサックスの馬場智章、左にキーボードの泉川貴広、左奥にベースの中林薫平、そして右奥に小田桐和寛。いわゆるパブリックジャズで、ビルの間に建てられた仮設ステージでの演奏だった。他の演奏を聴いていると、野外だから音が抜けるなぁと思っていたけれど、黒田卓也が出ると一変。トランペットの高音が、狙いすました弾丸みたいに「ぱっ!!」って出てくる。そして、この高音がしばらくステージに留まるから、その次の楽器の音とかリズムがどんどん重なって、気づいたら周りにグルーヴができている。凄い。Time Coilは確か2曲目。
『Love came to my door With a sleeping roll
And a madman's soul』ー愛が私の扉をたたいた。寝袋と、おかしな魂をもって。もう、これだけで歌詞に引き込まれるのだけれど、歌詞だけではなくメロディもいい。とらえどころがないというか、体の内側を撫でてさすって、待ってという間にどこかへ行っているというか。『He thought for sure I'd seen him』ー彼は私が見ていたと確信していた。私は見ていなかったんだろうね。この曲は愛における、私と彼との行き違いなのか。court and sparkは付き合って弾けるという意味らしい。
爆笑問題のカーボーイで、清志郎の話をしていた。「僕は選挙に行かなくてもいいと思ってるけれど、どんな政治よりもね、トランジスタ・ラジオのほうが影響力があるんですよ!」と、太田が言った。そうだなと思う。どんなに政治家が美辞麗句を並べても、この曲のイントロほど引き寄せられるものはない。僕はこの曲を、作家の高橋源一郎のラジオで初めて聴いた。ラジオからイントロが流れると、すぐに体がびびっとしびれた。「君の知らないメロディー、聞いたことのないヒット曲…」こんなかっこいい曲があったなんて!政治がこういう社会にしたい、なら、トランジスタ・ラジオはこういう自由がいい、というか。どこで聴いてもさ、いい曲なんだよ。
すき家で牛丼を食べ、雨が止んだから散歩をしようと思ったら、急に「何なんw」が聴きたくなった。何ですか?でもなく、何なの?でもなく、何なんw。口語とか方言を歌詞にもってくるのって、この世代であまりいない気がする。サビも中々面白くて、「それは何なん 先がけてワシは言うたが …あの時の涙は何じゃったん」と、方言のほうが多いくらいだ。でも、この場合の方言は、あえて方言を使うってよりかは、言葉のリズムが優先されている気がする。意味ではなくて、歌ってて気持ちいいみたいな。言葉遊びのイメージ。藤井風のピアノも、繊細さというよりは音の流れに乗る感じだから、優先されるのはリズムなのかも。
ゆったりとしたバラードのような感じかな、と思ったら、歌詞のフレーズの間が切ってつけたように短い。例えば、『気持ちの整理がつかないままに』の歌い出し。次のフレーズまでひとつ休止があってもいいのに、半休止で繋いでしまう。その次のフレーズも同じだ。文章でいうなら、「。」を使わず「、」「、」というような。ぱっぱっと移り変わるので、感情のほとばしりとか、疾走感を僕は感じる。Bメロの転調、間奏もそのまま突っ走って、そしてサビ「春の中」。このサビが、透明な裏声で始まるのが凄い。ようやく大きな呼吸をして、いままでの思いの丈をぶつけるようだ。そういえば、blueとは青春の色か、とも思った。