shibainu
柴犬
1970年、愛媛県生まれ。東京在住。80年代に青春を過ごし、Spotify が登場したときには40を過ぎていた。50も過ぎおっさんだなと思いながらも新しい音楽との出会いが至福の時。アルコールに興味がないので、音楽が一番の快楽供給源。
ヌーノ・ベッテンコートが Extreme で名を挙げたことには異論ないが、このソロプロジェクトは彼のソングライターとしての才能が遺憾なく発揮されている。特にこの曲はバックトラックの音作り、歌メロ、歌詞ともに絶品だ。亡き母に捧げる思いがストレートに吐き出されている。
大人向けのポップスを歌わせると本当にサマになる人だよ。リリースから17年経っても古臭さを微塵も感じさせない。
Streaming killed the TV stars 的な曲が出るとしたら何年後だろう?
全てが全てというわけではないが、ブリティッシュロックに対する苦手意識がある。
正直にいうとブリティッシュロックというよりブリティッシュロックリスナーが苦手なのかもしれない。「この音楽をわかってる俺こそ本物」「このバンドが好きな私ってセンスいい」というスノビズムを感じるからだろうか。
レディオヘッドはその代表で、名盤の多いこのバンドなのにまともに聴き込んだアルバムがない。コールドプレイも同じタイプ。
だけど本当にこの曲はいい。初めて聴いてから10年以上経つけど、忘れた頃に探して聴いている。
なんにせよ、先入観はよくない。先入観を持って音楽を聴く態度こそ I might be wrong.
のちにPPAPが情報セキュリティ用語として官民に取り沙汰されることをこのときは知る由もなかったのであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/PPAP
この曲、黄金時代であったり日本が台頭する前のアメリカ一強を謳歌するイメージなので1950〜60年代の作品なんだと思い込んでいたら、1979年のリリースと知ってびっくり。その上、ライザ・ミネリのカバーだったんだ。シナトラの曲だと思ってた。
改めて歌詞をじっくり聴いたら all together, fever とか歌ってて吹いた。
「Just the Two of Us 進行」というのがオシャレなコード進行の代名詞として有名だけど、世の中には丸サ進行、丸の内サディスティック進行と呼ぶ人がいると知って驚いた。
30年近く前だったような気がするので記憶が定かではないけど、大阪の万博公園で開催された Live Under the Skyで観たのが最初だったように思う。
その当時自分にとってのフュージョンはカシオペアかスクエアくらいだったから、背伸びして外国人プレイヤーなんか聴いてるとかっこいいという打算はあったかもしれない。
結局その年の夏はこのアルバムばかり聴いていたし、今振り返るとサックスを好きになるきっかけでもあった。
まだ昭和の頃、県外の大学に進学した。
高校生の行動範囲なんて高々知れていて、県内どころかせいぜい市内だったので県外に移り住むなんて海外移住に等しいことだった。
SNSもなく、長距離電話も高額だった時代、県外に出るということは地元の友達と疎遠になる覚悟が必要だった。
ああ、これで故郷ともお別れかと思って飛行機に乗ったときに機内放送で聴こえてきたのがこの曲だった。
聴くと、不安と希望が入り混じった複雑な心境がよみがえる。
今では当時の友達とLINEでつながり、いつでもどこでもコンタクトできる。高校生の自分に、心配ないよと教えてやりたい。
昔作ったプレイリストの中にこの曲があった。どこで見つけたか、なぜ気に入ったのか、当時のことは忘れてしまったけど、今聞き返してもいい曲だった。
数年前の自分よ、いい曲を薦めてくれてありがとう。
30年以上経って現役でなくなっても、いまだ日本のロックボーカリストの王座は人見元基が防衛し続けているんじゃないかな。
2005年らしいエモさに溢れたバンドだったな。音楽用語だったエモがまさかのちに若者用語になるとは。恥ずかしくて使えないわ。
もともとはオルタナティブ/エモ系だったけど、一旦解散して再結成したと思ったらポストロック/エレクトロ寄りのアプローチになってるようだ。
コーンの魅力は重さでも闇の部分でもなく、美しいメロディーであると声高に言いたい。
グラミー賞ベストポップボーカルコラボレーション部門の受賞曲。最高の楽曲に、たまらない映像美のPV。映像作家ならこんなの一度でも撮ってみたいだろうな。
https://youtu.be/acvIVA9-FMQ
キャンディ・ダルファーはボーカルアルバムをもっと作るべき。2003年の作品 Right in My Soul もよかったし。
結婚10年目を迎えようというタイミングでこの曲に出会った。正確に言うと妻が見つけてくれた。車のCMソングとして流れるこの曲を聴いて「あなたが好きそうだね」と。
大切な人の喪失などの出来事を経て、二人とも精神的に不安定だったこともあり、相互の関係を見失っていた頃だった。
そんなことも今は思い出。明日で17回目の結婚記念日を迎える。
高校時代の先輩二人がこの曲をギターで弾いていたから、真似して自分もコピーした。一人は孤高タイプ、もう一人は軽薄だけど人懐っこいタイプ。両者に共通してるのは繊細な人だったということ。
80年代中盤、ギターを持てば猫も杓子もLOUDNESSのリフを弾いてた時代だったけど、思い出の一つがアースシェイカーだということが自分を構成する何かに影響してるかもしれない。
セカンドの中で はこの曲が好きだ。とても浮いてる曲だけど。ニューメタル系の楽曲群の中で歪みレスのアレンジが攻めた感じで好きだった。まさかのちにエレクトロな方向に行くとは、このときには知る由もなかった。
アメリカで仲良くなった黒人女性が妻に英語を教えてくれた。レッスン後のお決まりのセリフは "Same time, same place" だった。この言葉に秘められた「約束」に救われた。
そんな彼女も、僕がいた職場から解雇されてしまった。不始末をしたわけではない。噂に聞く「今から片付けをしなさい」というやつだった。しばらく会えなかったが帰国直前にさよならを言うために再会した。彼女と妻はただ泣きながら抱き合って再会を喜んでいた。2009年のことだった。
Same time, same place はもう叶わないけど今ならリモートで any time, any place ができるだろうか。
ヒップホップやEDMは日本にも定着してる感はあるけど、サザンロックやカントリーはなかなか日本人には馴染みにくいカテゴリーだろうと思う。中2心をくすぐるわけでもなければ、聴いていることでスタイリッシュネスを演出する小道具になるわけでもない。メディアに載ることもないので浮動票ビジネスは成立しない。
だからこそ、そういう音を薦めてくれる人は音楽が好きなんだろうなと思うし、それまでの遍歴を知りたいと思う。
カリスマの後任者と聞くと判官贔屓にならざるを得ない。レイン・ステイリー亡き後のフロントマンの座を継いだウィリアム・デュヴァールもプレッシャーを感じていたことだろう。だけど、復帰第一作のアルバムに収められたこの曲は初期の名曲に勝るとも劣らない。
気がかりなのはデュヴァールの声がレイン・ステイリーに似ていることだ。過去曲の再現を考えれば妥当で合理的な選択だというのはよくわかるのだが、似ているが故に後釜であることが浮かび上がってしまうのだ。ジャーニーのアーネル・ピネダのように。
前任者の亡霊が常に付き纏うだろうけど、我が道を貫いてほしい。
Winger というと初期の2枚が挙げられることがほとんどでそれ自体は正しいのだけれど、アルバムとして一番好きなのは4枚目のIV。オールタイムフェイバリットにも加えてしまいたい。この曲だけでご飯三杯はいける。
日本人が共有する心の風景を美しい日本語で描写していてつけ入る隙がない。
イギリス英語は語中のTをTとして発音するのに対して、アメリカ英語ははじき音(flap T)と言って、Dの音になる。この曲のサビでは「メタル」ではなく「メダル(メドゥ)」と聞こえるもんだからすっかりアメリカのバンドだと思っていたらイギリスのバンドだった。
イアン・ギランは Smoke on the Water でしっかりウォーターと歌っている。これがアメリカ流のスモークオンザ「ワラ」だったらロックの歴史は変わっていただろうか。
華やかでセンセーショナルなイメージのマドンナだけど、本質は優れた楽曲。人生の節目に彼女の歌がある。
この曲のギターソロこそルカサーの真骨頂。テクニカルなプレイヤーが音数を極限まで減らした見せ場、「弾かない」という技巧。
まるでサウンドトラック。1980年代中頃、バブル景気に突入する前の高揚感の中でさえも、この曲なりの居場所があった。若さゆえの根拠なき希望と不安。
Duran Duran というと80年代の代表というのが世間一般のイメージだと思うけど、1993年のウエディングアルバムは華やかさこそないが音楽的には充実している。Come Undone も名曲。