息子がパウパトにハマっててよく見てるんだけど、マーシャル!って聞こえるたび脊髄反射でこの歌歌ってしまう
赤ちゃんって言われたときの赤ちゃんみたいに(ネコニスズ)
いい加減やりすぎて頭おかしくなりそう
20年以上聞き続けて骨の髄までしみ込んでる
ぼくにとってマーシャルはわんわんでも、かかにとっては林檎なのよ
覚えといてね
最近独学でピアノを始めました。
課題曲はこちら。
丸サ進行を理解するなら本家本元を。
駅ピアノでさらりと弾くのが夢。
歌声と曲にどハマりして何年になるか。今でも新鮮ですが未だに歌詞は雰囲気で分かった風に生きている。
昔から大好きで大人になって歌詞の明度がクッキリ認識出来る様になってまた一つ好きに🍕ピザ屋の彼女になりたい人の彼氏になりたい人生だった。
もう、お洒落!!気怠い雰囲気がいいよなあ。
浅井健一に向けたラブが詰め込まれてるな〜笑
#110 普段は平日の夜なんかに聴きたくなりますが、休みの日でもいい曲はいい。様々な人がアレンジを試みたくなるのもわかります。
十八番😂
小学生の頃に椎名林檎の存在を知り、
なにこの妖艶なお姉さんと思って
歌を聴いたらもっとハマった。
ピザ🍕食べれないけど 🍕食べたいワラワラ
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#Drums
#河村カースケ智康
『無罪モラトリアム』のデザインも木村豊の作品だ。1999年、椎名林檎のファーストアルバム。当初、このアルバムは『少女モラトリアム』というタイトルで進行しており、椎名林檎によるラフデザインは「よぼよぼの老人に椎名林檎がおんぶされている」というものだったが、それに対し木村はこの“勝訴の風景”というアイデアを提案する。
この頃、木村は洋楽のジャケから離れ、日本ならではの在り方を模索していた。渋谷系が“和”を意図的に排除して、外国人モデルを起用したり英字を多用するなど洋楽っぽく見せる工夫がされていたので、そこからの脱却を目指していた。この姿勢は以降の作品でも一貫している。 #FavJacket
いつ聴いても気分があがる。さいこう。
Anthem!!
2016年頃かな。ルームメイトの彼女が極度の椎名林檎フリークで、ぼくはよく酔っ払ってそのボーカルに合わせたギターを弾いていた。
あまりによく演奏していたので、もはやこの曲のメロディを思い浮かべると椎名林檎ではなく彼女の声で再生される