takedahi
武田ひか
詩の言葉も好きですが、音楽の中にある「詞」は詩とは違う強さを持つ気がします。ポップな音楽がすきです。https://note.com/sunamerinikki
酔っ払って帰る道の途中、大きな公園をぐるりと歩いていた夜。この曲を聴きながら歩いた日の夏の夜のなまぬるい空気を覚えている。Tempalayの『のめりこめ、震えろ。』を大音量で聴いていると、空気と自分の境目がなくなっていく心地がする。酔っ払っていたのも大いに関係しているかもしれない。近所にある公園は、灯りの数が少なく、とても広い。午前二時、リズムをとりながら歩いていても誰も気にしていない(ように感じる)。みんな、たまには踊りながら歩きたくなる夜もありますか。そんなときにこの曲をを聴くと、世界が半径5mに収まってしまったような感覚が湧き起こる気がします。爆音で聴いてください。
〈ずっと歌っていてあげるね、流行らなかった名曲を〉
マカロニえんぴつがメジャーデビューしてはや一年が過ぎ、月間リスナーは100万人に到達しようという勢いで。ほんとに遠くに行ってしまった。武道館も近い。マカロニえんぴつの音楽が好きだ。ライブの時にみせるお笑いだって好きだ。僕が想像もできないくらい、バンドマンはバンドが辞める瞬間を観ている。彼らも一度は止まりかけたバンドで。だけど、まだまだ歌っていてくれる。バンドの覚悟や楽しさや情けなさが詰まった『OKKAKE』、2018年に思っていたことをきっと今でも思っている彼らの姿を見ながら、ぼくはここからマカロニえんぴつをずっと応援しています。
作品を言葉で勧めたり説明したりすることには、野暮ったさがずっとついて回るけれど、MOROHAの音楽ほど「俺の説明なんていいから聴いてみて」と言ってしまいたくなる作品はない。シンプルなギターに乗ったライム。韻からはみ出してしまうくらいの『三文銭』の歌詞を聞いてから、何かが頭の中に住んでいる。なにかに挑戦するときにこの歌を聴いています、って言ったら笑うだろうか。でもアフロとUKだけは笑わないって、真顔で睨みつけてくれるって、それだけは確信していること。バイトのブッチもできず、嫌いな奴の顔も殴れず、明日の昼飯や好きな人のことを考えながら、足を震わせながら前へと進んでいる。そんな全ての人類へ。
「16年目の新人バンド、SUPER BEAVER、これが俺たちの戦い方です」
「SUPER BEAVER 15th Anniversary 都会のラクダSP〜全席空席、生配信渾身〜」というタイトルのライブ映像を観て、鳥肌が立ちまくって、その後二日くらいは繰り返し観て、ずっと聴いていた。まっすぐでいい、まっすぐが良いと高らかに歌う『正攻法』と名付けられたこの曲は、魂に名前がついたようなとんでもない名曲。いま、この時代、この世界にSUPER BEAVERがいることが奇跡のように思える。ぼくは、なんども励ましてもらっている。背中を押されるのではなく、心が突き動かされるような感触で。
高校生のころは海が身近な地域に住んでいたけれど、それと同時に電車のない土地でもあったので、この曲のなかにある風景には出会ったことがない。スイミングスクールにも行ったことがない。だけど、この曲を聴くとなぜか好きな人を電車のなかで盗み見しているときの「気持ち」や、夏風にポニーテールがゆれる君をみたときの「気持ち」が浮かんでくる。『君はロックを聴かない』のカップリング曲として入っていた『青春と青春と青春』。青春の理想像が詰め込まれている。発売当時、20歳くらいだろうか。あいみょんが歌った青春のイデアは、ぼくが抱えている理想像にずっと突き刺さっている。あー、今年もこんな夏過ごせなかった。
〈トークさえうまくいかない ふやけた愛です〉という歌詞のせいだろうか、鈴木真海子のことをものすごく歳上に見ていて。で、最近、Twitterをスクロールしているときに「25歳になりました!」という投稿をみて、びっくり。(自分と)3歳しか違わないの!?いや、作品の質に年齢は関係ないんだけど、めちゃくちゃ凄いと思っていた人が同年代と気づくと、どうしてもびっくり。ラップミュージックはあまり聴かないんだけど、Chelmicoの曲は好きでずっと追いかけています。このアルバムの完成度も高いし、アルバムの中で、Rachelと作っている『Lily』も物凄く好き。Chelmico、ずっとずっと続いて欲しいなぁ。
ズーカラデルの『アニー』という曲を初めて聴いた時、こりゃまた王道なバンドが出てきたもんだな、と思った。希望にあふれた明るい詞と、わかりやすい構成。良いな、とは思いつつ、しばらくハマりきれなかったのを覚えている。それから一年かそこらが経った後に聴いた『漂流劇団』でも、受けるイメージは最初の印象から変わっていない。〈あなたを笑わせたいのだ 歯の浮くような台詞を並べて 幻みたいな世界を彷徨って 疲れたあんたと話がしたい〉
明るい詞、ポップなバンドサウンド。これ以上ないくらいに真っ直ぐに、力強い。暗闇で灯りを光らせながら歌う劇団のような。彼らの通った道は、ほんのりと明るい。何度も聴くバンドになった。
SpotifyでもYouTubeでも、書店で偶然にも本に惹きつけられるように、ふたつのプラットフォームで音楽に出会う。テレビを観ないので、ここ四年で聴いた音楽はほぼ全てがそこでの出会いだ。今音楽を聴いている人にとって、スマホ上の配信サイトはなくてはならないのではないか。YouTubeで30万再生前後、優秀なレコメンド機能で流れてきて、この曲に撃ち抜かれたのが三日前くらい。Chilli Beans.というスリーピースだった。最新のEP「dancing alone」を擦り切れるほど聴いている。洋楽風の香りもとても爽快なのだけど、なによりボーカルの色が強くて好きだ。多分、めちゃくちゃ来ちゃうバンド。
kmgという大学生のコピーバンドの映像を観ていた。彼らがカネコアヤノの歌を歌っていて、かっこよかったので、久々にカネコアヤノのアルバムを通しで聴く。少し前に、「小学生の頃にカネコアヤノに出会っていたらバンドマンになってたかも」と呟いたことがあった。何かと喧嘩しているような歌い方をする。そこがかっこよくて好きだ。〈かみつきたい散らかしたい 君のそういう態度が嫌い/かみつきたい散らかしたい 安いお酒でキスでもしたい〉
一度だけ岡山での弾き語りライブに行ったことがある。トークがほぼ無くて、10曲ほどを初めからぶっ通しで弾いていて内心マジかとビビっていたのを、コピーバンドの熱唱を観て思い出した。
「言葉よ どうか いつもそばにあり これからの奇跡に全部形を与えてください」という歌詞の意味を考える。かまいたちの濱家さんが、幼い頃にお世話になったスーパーの閉店の知らせを聴いて、そこを訪れたというブログ記事を観た。記事では、時折涙を浮かべ、言葉をぽつぽつとこぼしながら、スーパーでの思い出を語る濱家さんの姿が書いてあった。忘れてしまうから。言葉を綴ってずっと抗っている。なぜ言葉を綴るのかという問いは果てがない。だけど、忘れたくないと思ってこぼす、絵の美しさや場所の思い出、あのライブハウスの音楽がどれほど素晴らしかったかについて。言葉だけが僕らの感情に形を与えてくれる。それだけは確かなのだ。