aon
noa kobayashi
古内東子、当時24歳。aikoや西野カナまで新旧恋愛ソングのJ-POP DIVAの文脈を持ちつつ、90's J-AORと交差する初期の到達点。
20歳前後に一番聴いていた。哀愁を感じさせるメロディーラインとフロウの先に予測しない晴れやかな明るさが待っている曲。 RCAからのこのアルバムがデジタルリマスターされたリイシュー盤として他に先駆けて発売されたような記憶がある。数年後にはようやくEMIからの作品もリマスターされた。イヴァン・リンスが私のMPBの入口であり、古今東西随一の鍵盤を操る浮遊系メロディー・メイカーに心酔した。
泥臭く這い上がるカルチャーへの信頼。私は毎日このジャケットのCORNERを通過している。
主要メンバーがマネージャーからの詐欺による悲嘆や、その後のメンバー間の訴訟に疲れて2人も自殺してしまった悲劇のバンド。アップルレコードの都合により次のビートルズになりそこねたが、とても名曲揃い。ジャケットも素敵。この曲の邦題は「嵐の恋」。 70年のヒットナンバーで、90年代にジェリーフィッシュのライブカバーで知りました。ジェリーフィッシュはギターソロまで完コピしています。
懲りずにB級LAヘアメタルをご紹介。2001年に発売されたエアロスミス「ジャスト・プッシュ・プレイ」に先駆けること16年。世界のセクシー・ロボット・イラストレーター空山基がジャケット・デザインを手掛けたオートグラフの2nd(1985年)。イラストレーター繋がりで遡ったが当時オートグラフの音源は手に入らなかったので、レンタルした思い出。私はMD〜iPod移行期が青春でした。ヴァンヘイレンの前座でデビューし、パっとしなかったバンドだが、ハードポップバンドとしては秀逸で評価されなかったのが残念。ナイトレンジャーやボンジョビよりポップで、REOスピードワゴンやボストンよりハード。
アンガス・ヤングとタメ年のギター・ヒーロー、エディー・ヴァン・ヘイレン。彼が23歳でプレイしたこちらの曲の邦題は「暗闇の爆撃」。アラフィフのギターキッズにはお馴染みのライトハンド奏法(昭和!)。「邦題」を考えるのはレコード会社の洋楽ディレクターの大事な仕事でした。70年代前半は原題に忠実かつ日本人に翻訳して売れるための邦題が主流だったが、70年代後半くらいからは独創的なクリエイティブが競われ、80年代になると、馬鹿で奇抜でアーティスティックどころか謎な邦題が跋扈し、それはそれで最高だったのですが、洋楽アーティストからの批判も殺到し、90年代以降はカタカナに落ちつき30年。
ついでに彼らが世界を制したアルバムから大好きな1曲を選べと言われたらこちら。邦題は「スリルに一撃」。100万回合唱したし、とにかく弾き倒した。歳を取った近年はド渋なスローナンバーが基調の彼らだが、当時20-30代でギンギンの彼らには(17歳でデビューしたアンガスなんてまだ25歳でした)、80年代はまだまだ疾走感溢れるロックンロールもお手の物。若い人には(と言っても10年前だが)には「アイアンマン」の挿入歌としても馴染み深いかも。おっさんホイホイなオジンな文章になっているのに書いてて気づいたけれど、Chooningのスキマ産業目指して頑張ります。
AC/DCの新作が11月に発売される。もはや「アルバムを待つ」なんて感覚はChooningのZ世代には考えられないのかもしれないが未だにそんなバンドやアーティストを待つことが出来るのは幸せだ。ブライアン・ジョンソン(73歳)が戻ってきた…。ブライアンが「Back In
Black」で世界を制したのは40年前。その当時の年齢に私も到達した。それからなーんにも変わっていないことに感涙。少し苦しそうではあるがブライアンのフローは健在。マルコムは亡くなってしまったが、最強の金太郎飴リズム隊クリフもフィルもいる。アンガスも相変わらず跳ねている。
10代から命を燃やし続けるシュギーさんはオタク的な気質もあり宅録マニアなファンに支えられてきた。同時代を生きたスライ&ザ・ファミリーストーンの影響がモロではあるが、習作にはならずにDIY密室ファンクの祖とも言える温もりかつメロウなローファイ・サウンドはプリンスやラファエル・サディークにもリスペクトされ、低音の取り方はDJ諸兄にも愛され再評価され続けている21歳の傑作。2018年にはカーマイン・アピスとトニー・フランクリンの2人とフュージョン・アルバムを出しており期待したがイマイチだった…。
アル・クーパーと言えば、スタンダード・ナンバーとしての名曲「ジョリー」やマイク・ブルームフィールドとのライブ盤が定番だけど、私にとってはシュギー・オーティスとのこちらのセッションです。フックアップされたシュギー・オーティスは何と若干15歳。まだまだ粗削りとはいえ、ペケペケに尖まくったブルースを披露。60年代には、10代から活躍するセッション・ミュージシャンはたくさんいた。その早熟さは現在のラッパーに近いかもしれない。
飲み会で「LAメタルが好きだ」という方にお会いしたので、「B級ですがシンデレラが好きです!」と返したら微妙な空気になり反省。B級だなんて思ってないのにどうしてあんなこと言ったんだ…。ギタリストのトム・キーファーはレスポール使いで有名で、スラッシュやザック・ワイルドやジョン・サイクスらと並んで挙げられることも多かった。ときどきヤングギターのバックナンバーに載っていたが、2000年以降は見かけなくなった。歌えるギタリスト像を構築できているが、テクニカル派ではなく、バンドも動いてなかったので雑誌からは避けられたのかもしれない。良曲。
元祖ストーナー・ラップと現在では称されるデヴィン・ザ・デュード。90年代以降のスヌープ・ドッグなどに代表されるカリフォルニア産ウェッサイ×WEEDなシーンとは異なり、さらに南に下ったテキサス州ヒューストン産というのも肝で、ウィズ・カリファやスモークDZAの登場以前のストーナー・シーンを繋ぐ最重要人物がデヴィン。西海岸ではなく南部のウィードなラップであるから(?)シロップがデフォルトで混ぜ物。サザン・レイドバッグなスクリューなムードが全編を漂うこの曲は北海道から帰ってきて、進路に悩んでいた頃に刺さった。アルバム1曲目からスロウにストーンしてる構成も含めて最高。
エリア(地域)やヴェニュー(場)と言ったワードがキーになった昨夜を思い出して投稿。L.A.に実在するエリア・コードからの命名によるAORバンドの発掘盤からの1曲。EW&Fやジノ・ヴァレリ周辺にいたミュージシャンたちで、メンバーのヴィニー・カリウタが忙しいときは代わりにジェフ・ポーカロが叩いたり、デヴィッド・フォスターがプロデュースに関わるなど豪華メンバーによる1981年のレコーディング。かつてメンバー全員がこの地区の住人であった。同名ラップ・グループもあるが、また次回。「つぶやき以上批評未満」のローカル・グッド・ミュージックのプラットフォームの実験として、300字マラソンのスタート。