最近考えていること
多様性を認め合って生きよう!
という世情の真に目指すべきところは
人種、障害、性的マイノリティみたいな
”粒立てた目立つ特徴一つ一つ”
の理解と認め合いで終わるわけではなくて
その先にある
特徴的な要素の掛け合わせでさらに複雑になった人々
の存在の説明コストを減らすことだと思う
自分が何なのか理解してもらうのに
途方もなく説明が必要で
喩え話したとしても理解されるわけもなく
それでも人が興味本位で
”あなたが何なのか”訊いてくるし
なんなら相手が勝手に決めてくる
わかりやすい型のない複雑さを
型がないまま理解できる柔軟性こそ
多様性の本領発揮なんじゃないかと思う