韓国のSSW 大衆道徳という名前でも活動してた
ポスト郊外的な音楽だと思う。
反逆の神話を読んでるんだけど消費社会はそれを変革しようとするカウンターカルチャーやクリエイティブを取り込みながら差異を生み出して逆に拡大している
つまりそれらすべての文化が望むと望まないとに限らず必然的な運動でしかないってことだけどそれを知ってショックというより、それによってすごく豊かなデータベースの中を遊べるようになったってことだし、実はもうそんなの当たり前だったんだよな
空中泥棒はその遊び的な軽さをとても感じる、ある意味 都市なんかより郊外の方が消費社会に保証された自由な公園みたいなものなのでは?