忌野清志郎の命日。僕にとってロックスターといえば清志郎で、十代の頃はどのアルバムも繰り返し聴いていたが、ライブには行かず仕舞いだった。
高校生とはいえ買えない金額ではなかったし、友達に誘われたこともあったのに、生の清志郎を見ることに抵抗感があってノリきれなかった。不思議な感覚だけれど、その頃の僕は清志郎が現実の存在であることを確認したくなかったのだ。スターである清志郎は、映像や雑誌といった伝承の中の人であり続けていてほしいという奇妙な欲望を持っていた。
今となっては見ておけばよかったという後悔しかないし、繊細を気取っていた十代の自分を叱りつけてやりたい。
セブンイレブンのおかげで誰もが知ってるけど、「あ〜セブンイレブンの曲ね!」で片付けられたくないと思っちゃう、不動の名曲
最近音楽が好きな自分とは?の問に向き合わされることが多く、自分にとってのルーツなお父さんのルーツは何だったのだろう、と、お酒片手のテンションで自立7年にして初、父との雑談電話をしました。普段会話をしない親不孝な子供の突然の電話に涙ぐまれながら初めて、父にとっての音楽を聞きました。私もちょっぴり泣きそうになりました
忌野清志郎が亡くなったとき、同じくお酒片手に、YouTubeのライブ映像を漁りながら、静かに泣き続けている父の姿を思い出しました。音楽って凄いなあ、と思いました