95年にファーサイドがdillaの作った曲、runinn出して、ロックとか好きな人でもヒップホップに対する理解度が上がったような気がしました。本当によく聴いたし、札幌のクラブでもかかりまくってましたね。
ブルーハーブのonoさんが東海岸のヒップホップをよくかけてました。
当時はdillaではなくdeeでした。
浮遊感のあるフレーズにぶっといビート。立て続けにヒット連発して、雑誌にも目にするようになって。
deeの音楽が広まると同時に夜な夜なクラブに行くようになり、なんつーか19歳からの10年間、deeが死ぬ06年まで本当に濃い時間だったと思います。