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RYUSENKEI,Hiyajo Atsuko まわれ まわれ for jeanjack

沖縄の歌姫と東京の「シティミュージック」のコラボレーション。比屋定篤子のもとの作品を流線形がアレンジしたものとなっている。ピアノのメロディはTOTOの「GeogyPorgy」のキーボードをサンプルしており、個人的には「あ、これぇ!?」感が強く、とてもいぶし銀な感じで良い…
また、歌詞の台風が近づく夏の印象とは異なり、ピアノのメロディ自体がどこか切なく懐かしげな雰囲気を出しておりその温度差がたまらない。また、比屋定篤子の持つ透明感のある伸びやかな声が絶妙にマッチしており、まさに「ナチュラルウーマン」と言って差し支えないだろう。
最後のギターとサックスのプレイで曲にまとまりが出ていた。

Cuco Best Friend for jeanjack

Theラテンという感じの陽気であるけれどコードが半音下がっていくためどことなく切なさが感じられるイントロから始まる。歌詞もこのような完全な陽気で明るい感じでないのがまた非常に良い。歌詞から感じられるのは恋人関係であったふたりがなんらかの出来事を原因として、もとの「良い友達」に戻るといったものだろうと考えられる(私感)。主に「自分が馬鹿だった」と懺悔するところがまたリアルさがある。でも、
もとの「良い友達」に戻ることなんて到底無理に決まってるのに…どうしてみんなそう言ってしまうのか…考えさせられてしまった…

Yuta Orisaka 坂道 for jeanjack

彼の儚げなボーカル、ギターとピアノのシンプルでクラシカルなイントロは僕のセピア色となった高校生活を鮮明に色づかせ思い出させた。私の高校は坂の上にあり、その帰り道とても長く急な坂道をただひたすら自転車で友達と下って、他愛もない話をしたかつて日常’’だった’’ことを思い出させた。それは平成の末でこのようなコロナ禍になることもゆめゆめ予想なんて出来なかった。僕は故郷を離れ東京の大学に通っている。確かに東京は’’自由’’かもしれないけれど、’’締め切られたあの窓’’から外を眺めていた時もまた別の自由があったように思えた。私は東京では今日も住宅街の’’細く暗い道’’を通って家に帰る。自由と言い聞かせて。

Kan Sano,dosii I MA for jeanjack

アルバムがこの作品から始まった瞬間五臓六腑に多幸感が駆け巡った。Kan Sanoの作品はどれもすばらしいが、今回のアルバムはその中でもマスターピースのように思えた。また韓国のAORユニットのdosii(都市)を用いたのが時代的にさすがと言える。Kan Sanoと女性ボーカル(ぷに電、土岐麻子等)は親和性が非常に高く、彼の作るjazzyで儚げなメロディは都会のドライな孤独を女性ボーカルの透き通った声を通してまさに表現されている。2人は’’すべてじゃなくても’’理解し合える。それは’’本音’’でしか可能になり得ない。それを始めるのは’’今’’以外にほかならないことを日韓両国の言葉で織り成されてる。